GPの原点となる
創業時から今、
そして未来のことを
話します

代表取締役社長

進藤均

一点を照らすだけの小さな灯でも、多く集れば、街全体を照らすことができます。
一人では社会を動かすことはできませんが、様々な人たちが集まれば、きっと社会は変わっていくでしょう。 創業前夜から今に至るまでのこと、未来のことを語ることで、共感する仲間が増え、社会変革のきっかけとなればと切に思います。

きっかけ

あなたはなぜそれをやっているのか

子供のころから不思議と起業家や経営者に興味があり、事業を興すことに憧れをもっていました。気づけば学生時代には起業することが目標となっていました。社会人として働きながら、「何のビジネスをやるのか」「今は何がいいのか」と考えてきました。事業アイデアはいくつも出てくるものの、本当にやりたいことなのかと自問自答しても、心が熱くなることは一度もありませんでした。考えることに疲れていたあるとき、「何をやるのか」ではなく「なぜやるのか」が大事という言葉に目が留まりました。事業を興すには目的が大事なのだと気付きました。そこで、ビジネスの視点やマーケットニーズを一切気にせず、思い入れのあることを目的に据えようと思い至りました。
そして自然に出てきたのが、「社会のおかしいことを正していく」という思いです。

世の中の差別・偏見・不平等。おかしいけれども自分だけではどうしようもできない不自由な状況を変えていけないだろうか。自身、最も問題意識のあった「障がいのある人への差別偏見」を変えようと考え始めました。それは、自分でどうにもできず苦しんでいる人を放っておけないというおせっかいでもあり、正義感のようなものでした。
思いが先行していたため、具体的なことは何一つありませんでした。私には幼い頃から障がいのある妹がいたため、様々な問題に直面していました。社会から保障はあるものの、平等な機会はありませんでした。教育の不均衡、進学率や就職率の悪さ。昇進や給与の格差。結婚の壁…。これらは障がいのある本人の問題ではなく、社会側に心がないことが問題なのではないかと思っていました。
そんなとき、障がいのある人の生き方を取り上げたドキュメンタリー番組を見ました。そこにはヨーロッパのカフェで、イキイキと働く聴覚障がいのある女性の姿がありました。その女性は聞くこと、話すことができません。その状況をお客さんは理解していて、身振り手振りで注文をし、お互いに確認し、女性が飲み物を運びんでいきます。アイコンタクトで御礼をし、ときにお客さんと談笑する。自然のまま接していました。こんなふうに、障がいのある人が普通に社会に溶け込んでいる環境をつくりたい。変えていきたい。いろいろと考えを巡らせるようになりました。

問題意識

障がい者が普通に生きるための壁

障がいのある人には、「できない」「あぶない」といった否定的なイメージがつきまとっています。さらに、「可哀そう」「悲しい」と同情されることも多いです。私は、知的障がい者らが通所する福祉施設が移転する際、周辺住民から「何をするか分からないから怖い」「地価が下がってしまう」という心ない反対運動を経験しました。まったく根拠のない、間違った先入観でした。貸し手からも「障がいのある人たちが怪我をしたら責任が取れない」という理由で断られます。別のことですが、親戚の結婚式に妹だけが参加することを拒まれたことも経験しました。身内に障がいのある人がいることを知られなくなかったのです。

何が問題なのでしょうか。障がいのある人が何か悪いことをしたのでしょうか。これが現実です。ヨーロッパのカフェで働く聴覚障がいのあるスタッフとお客さんの間には、不安はありませんでした。同情もありません。居心地の悪い空気もありません。ただただ両者が自然に向き合って、受け入れながら生きていたのです。障がいのある人たちが普通に生活するためには、当事者を変えるのではなく、社会側にある「差別」や「偏見」を変える必要がある。ここに根本的な問題意識を持つようになりました。
「障がいに対する悪い印象を持たず、特別視されず、普通に受け入れられる社会に変えたい。」「誰もが自分らしく生き、あらゆる機会のある社会に変えたい。」という気持ちが芽生えました。そして、大きな問題を取り除かなければならないという使命感が生まれました。
障がいのある人への「差別」や「偏見」は、一体どこから来ているのでしょうか。

創業前の2002年頃、某新聞社が、「駅のホームで車いすや視覚障がいの人がいたら、あなたはどうしますか?」というアンケートを行ったところ、8割近くの人が「どのように対応してよいか分からない」という回答をしていたのです。接したことも話したこともないので、「知らない」ということが分かりました。私の周りでも、障がいのある人と接したことがある人ほど普通に接することができ、心の距離も近かったです。それは子どもの頃から接している人ほど顕著に出ます。これらのことから、「差別」や「偏見」をなくすためには、知ってもらうことが何よりも大事なのだ、と定めました。これが後の最初の活動ミッションとなるのです。

事業構想

三つの事業構想と雇用支援の意義

2002年、「障がい者の良き認知を広めて、差別偏見のない社会に変える」というミッションを胸に、私は事業の構想を考え始めました。当初考えた事業構想は、三つありました。 一つ目は、ヨーロッパのカフェのように、障がいのある本人がスタッフとして働くレストランです。働く機会を提供するとともに、お客さんが障がいのある人と触れ合い、理解を深められる場にする。そして、子どもたちとも接することで、将来的に良い影響につながると考えました。 二つ目のアイデアは、障がいのある人たちが製造したものを販売する事業です。各地域にある福祉作業所には、手先がとても器用な人や、独自の芸術的感性を持った人たちがいます。その人たちと一緒に商品をつくるのです。「かわいい」「かっこいい」といったヒット商品を生み出せば、イメージが変わるのではないかと考えました。売り上げは彼らの報酬となり、福祉作業所で働く月給(平均13,000円)を高められ、自立した生活ができると考えました。
三つ目の事業アイデアは、今取り組んでいる障がい者雇用です。採用企業と働きたい障がいのある人をマッチングする事業です。
これら三つのアイデアの中で、最も取り組むべきことは雇用事業でした。なぜなら問題だらけだっただけでなく、誰もやる人がいなかったからです。

日本では「障害者雇用促進法」が制定されており、2016年4月現在では社員数の2%にあたる人数の障がい者雇用を義務づけています。2002年の創業前後は、障がい者雇用率は伸び悩んでいました。それもそのはず、雇用率を達成していない企業が、実に70%以上ありました。そしてその多くの企業は何もしていなかったのです。
当時、障がいのある人の仕事探しは、ハローワークしかありませんでした。私は、そこにどんな問題があるのか話を聞いてみようとハローワークを訪れました。訪問してみて、まず求人票の内容に驚きました。例えば、仕事内容欄に「一般事務」としか記載されていませんでした。あまりに情報が少なすぎます。年収提示は100万~200万円と低水準なものが多かった。「どうせできないだろう」とばかにしていると思われてもおかしくない求人でした。さらに、採用意思がないのに義務だから仕方なく出している求人も多くあり、信頼性に欠けていました。その結果、就職には結びつかない。さらに、せっかく就職に結びついたとしても40%は早期退職してしまうというのでした。
「障がいのある人を採用したのに、すぐに辞めてしまった。まったく迷惑な存在だ。」というイメージを与えていたのです。我々の思いとは逆のことが目の前で起きている。いち早く、今のマイナスイメージを食い止めなければならないと思ったのです。

正しい情報を提供する。できるだけ多くの情報を提供する。人と企業を適切にマッチングしていく。
これらのことをすれば、一緒に働く人たちのマイナスイメージを180度変えられる。
障がいのある人が活躍するケースをつくっていけば、少しずつ良い認知が広まっていく。その行く先には、差別や偏見の解消された社会が実現できるだろう。頭の中でそのビジョンを思い描けたとき、私は、障がい者雇用の分野で創業しようと決めたのです。業界初の障がい者専門の人材紹介事業です。

最初の反対

株式会社へのこだわり

事業構想が決まり、知人の経営者や先輩に、事業アイデアを判断してもらおうと相談をしました。きっと前向きな意見をもらえるだろうと思っていましたが、結果は逆でした。「障害者をお金出して採用する会社はないからビジネスは成立しない」「社会貢献とビジネスは相反することだから両立できない」というビジネスとしての否定的な意見でした。さらに、「障がい者でビジネスをしてはいけない」「もしも儲かったら障害者団体から訴えられる」「株式会社は不謹慎だ」といった、障がいのある人に対する差別的な意見もありました。障がい者というのは、ただものではない存在で、危ない存在なのだ、中途半端に関わってはいけない、といわんばかりの声でした。私はこのときなぜこの障がい者支援領域に、今まで民間企業が存在していなかったのかがよく分かりました。差別や偏見といった心理的な参入障壁が高かったのです。さらに、当時から「なぜNPO(非営利)ではないのですか。なぜ株式会社(営利)なのか。」とよく聞かれました。この質問を例えていうと、女性向けに洋服をつくる会社は営利企業で、車いす向けの洋服をつくる会社は非営利でないといけない、ということです。こういったイメージこそが差別偏見なのです。障がいのある人に良いサービスを提供してお金をいただくことはまったく問題ないのです。「障がい者=福祉=非営利」という意識構図を変えたいと思いました。一石を投じよう。そこで私は、日本で初めての障がい者支援領域の株式会社、そして業界初の障がい者専門の人材サービス事業を始めようと決意を固めました。「起業する人が少ない上、障がい者分野をやろうなんて人は、この先現われない。自分しかいない。」という使命感が芽生えたのです。「株式会社として成り立っているところがある」「存在しても問題ないんだ」という姿をみせ、誰かの心を変えるきっかけにするんだと決めました。「ゼネラルパートナーズ」という社名は、“General”の「社会を変える。広める」という意味と、“Partners”の「仲間たち」を掛け合わせたものです。仲間と一緒になって社会を変えよう、という意味を込めました。そして、2003年4月、株式会社ゼネラルパートナーズは誕生しました。

創業期

はじめての就職決定がうまれるまで

マンションの一室から始めました。玄関ドアに紙でできた看板を貼り、営業活動を開始しました。障がい者雇用を進めたいがどうすればよいかわからない企業と、働きたくても働けない障がい者を結びつける人材紹介事業です。登録している障がいのある人は0人、求人は0件。知名度も0です。にもかかわらず、営業活動初日から企業から求人をもらうことができました。企業は興味関心があったものの、どのように雇用すればよいのか悩んでいたのです。「障がい者と働いたことがないので、どんな仕事ができるのかイメージできない」「障がいの状態を知らないので、どう配慮すればよいか分からない」「ハローワークを使う以外のやり方がない」そんな声でした。当時は「仕事はないけど、席は用意するから、来て座ってくれればいい」という、今ではありえないことを言う有名企業もありました。「障がい者って、車いすの人のことでしょ?」と考えている人事もいて、だいぶ遅れているという印象でした。今まで仲介する人が誰もいなかったため、お互いの情報が正しく伝わっていなかったのです。理解度0からのスタートでした。企業はマッチした人を採用したい、という声が多かったので、障がいのある一人ひとりのことを丁寧に説明することを心がけました。どんな仕事ができるのか、どんな人物か。どのような障がいなのか、どんな配慮が必要かについて、詳しく伝えていくことから始めました。当然ですが、始めはなかなかうまくつなげられませんでした。しかし、状況が大きく動く出来事がありました。創業して間もなく、とある団体が厚生労働省に公開請求を行い、障がい者雇用率を達成していない企業名をすべて公開することが話題になったのです。企業側はブランド名に傷がつき、不買運動など、大きなリスクとなることが予想されたため、猛反対していました。しかし、反対を押しのけて実企業名が公開されました。これは大きな追い風となり、企業が少しずつやる気になってくるのが分かりました。求人は、間もなく100社を越えていました。将来的にはもっと大きなマーケットになる、そんな手応えを感じました。

しかし、障がいのある人たちはまったく集まりませんでした。最初、職業訓練校や特別支援学校に訪問しました。しかし、「民間企業とは付き合うことはできない」と断られ、「民間企業はあやしい」と煙たがられる日々が続きました。できることは、毎日、ホームページに集めてきた企業の求人情報を掲載し続けること。そして、誰かに役に立ってくれればという思いで「就職の極意」というノウハウを毎日書きました。数ヶ月経ち、月0人だった登録が、2人3人と、少しずつ増えていきました。カウンセリングでは、一人ひとり丁寧に話を聞きました。そして、事業者とカスタマーという関係ではなく、ぶつかり合いながらも、一人の人間として向き合いました。障がいがあるといっても、色々な人がいます。ときに甘えている人もいます。ふざけた態度をとる人もいます。しかし、多くの人は、高く冷たい壁に人生を阻まれた人ばかり。差別や不平等な扱いでした。聞くにつれ、怒りを感じることもありました。二人で涙を流すこともありました。冗談のような話ですが、カウンセリングの机にはいつもティッシュだけが置いてありました。

毎日地道に続けたことにより、半年近くが過ぎた頃、初めての就職決定がうまれたのです。サービスは毎日試行錯誤をしてきたため、出来上がっていました。さらに口コミも増えたことで、障がいのある人の登録が増え、V字回復していきました。すでに通帳の残金は底をついていました。ギリギリの船出でした。

さらなる挑戦

「良き認知」を広めるために

1年ほど経過した2004年。100人以上の就職決定者が出るほど、現事業が順調に上向き、仲間は5人に増えていました。御徒町のマンション一室が手狭となり、20坪ほどのオフィスに移転を検討していた頃、新たな事業に挑戦することを決めました。業界初となる転職サイトです。当時ハローワークでは、自分が住んでいるエリアの求人しか見ることができなかったため、障がいのある人だけではなく企業側も困っていました。世の中にはこれだけ転職サイトがあふれているのに、障がいのある人向けのサービスがないという現実。これだけ必要な人がいるのに、始める人がいないという現実。必要だと思い、転職サイトを創ることに決めました。これによって、北海道から沖縄、海外に住んでいても、希望の場所、気に入った仕事に直接応募できるようになったのです。そして企業が直接スカウトできるサービスを創りました。3年目には、関西支社を立ち上げました。さらに「適職フェア」という合同面接会を定期的に開催しました。その後も、身体障がいの中でも就職が決まりづらかった全盲の視覚障がい、重度の聴覚障がい、人工透析、車いす、HIVなどはフォローを手厚くしてマッチングに力を入れました。GPには、「就職が決まればそれで終わり」と考える人はいません。むしろ入社後が大事なのです。GPは就職決定に応じて売上があがるというモデルなので、就職決定人数が増えることは良いことです。しかし、社会に対して良い認知を広めるためには、入社後にその方々が仕事で活躍していることが大事です。共に働いている人たちが「あの人は仕事ができる」「イメージが変わった」という状態をつくること。これこそ我々が社会を変えた証であり、障がい者雇用支援に携わる者たちのポリシーとして、今も持ち続けているものです。その後も、中途採用に加え、新卒採用にも事業を拡大。創業して5年ほど経過した2008年頃、精神障害者というカテゴリーが加わるという法改正後、精神疾患の方を対象とした就労トレーニングや人材紹介に事業を広げていきました。うつ病のリワーク、ひきこもりの社会復帰支援、あらたな働く場としての農業、総合研究所の設立など、毎年、毎年、他にはない、困難なものに挑戦してきました。これらは創業から脈々と続くDNAとなっています。

0から業界へ

ゼネラルパートナーズが社会にもたらしたもの

初めてづくしの船出から数年が経ったところで、競合他社が複数あらわれました。日本トップ5の大手人材系がこぞって参入してきたのです。当時は、怒りのような感情がありました。というのも、GP創業前の2003年頃、大手人材企業に「障害者雇用の分野はやらないのか」と質問してまわったことがあり、「問題が起きたらリスクが大きい。ビジネスでやれるわけがない。」とネガティブでした。「マーケットが小さいし。儲からない。」という理由の会社もありました。どこもお手並み拝見という態度だったのです。当時GPのお客様でサービスを提供していたため、そっくりそのまま、まねされた!と感じました。一方、こちらは弱小企業だったので焦りました。つぶされないように、のみこまれないように、という危機感がうまれました。最初にサービスを始めた会社が負けるわけにはいかない、という気持ちが支えとなり、社員の意識が高まり、サービス改革が生まれました。競合他社の存在は、結果会社を強くしたのです。創業して10年経ち、30~40社の民間企業が同じような事業を行うようになりました。これらを経験し、振り返ったとき、重要なことに気付くことになります。GPが道のないところをかき分け、歩き始めた。すると、その後ろを歩く同業他社があらわれ、どんどん歩く人が増えてきた。いつのまにか、そこは道になっていた。小さいながらも業界になっているのです。そう感じたときに、社会を変えるには、「最初に道なき道をつくること」がもっとも重要なことだと感じました。この経験は、後に、誰もやっていない新たな事業をどんどん創っていこう、というビジョンの元となる体験となりました。今もなお、その道はいろんな人たちが通り、さらに広がっているのです。もはや競合他社ではなく、同業の人たちであり、今では同志であります。そう考えるようになりました。一緒に取り組んでいるんだという思いです。

第二創業期へ

新たな問題意識。そして、未来へ

2017年、第二創業期を迎えました。今までの活動を振り返り、そして、ずっと先の未来を見据え、新しいゼネラルパートナーズとなることを宣言しました。
少子化による人口減少、経済の停滞、前向きでない高齢化、地方格差の拡大、財政の信頼欠如。これらの問題が続けば、社会全体として厳しい状態が続くでしょう。自分らしい人生を送れない不自由を、もっと解消していかなければと考えています。一方で、「社会問題を解決していきたい」と考える人が増えています。他人事ではなくなったのだと感じます。企業で働くビジネスマンの実に90%以上が、社会貢献に協力したいという想いを持っているそうです。GPには協力してくれる仲間がたくさんいることが分かりました。

ゼネラルパートナーズは、GPコアである「社会問題を解決する」に基づき、社会に障がい、うつ、LGBT、不登校、ひきこもり、難病、働く女性、高齢者など、不自由を感じる人がいれば、そこを活動領域とし、事業を開始します。主役は、問題意識を持ったGP JINです。その分野のリーダーとなり、裁量を持って、どんどん不自由を解消していく。仲間は、社員だけでなく、多様に富んだ社外の人たちも加わります。働くという概念を覆すような協力体制を創り、大きなうねりにしていきます。一つの事業に100人の仲間たちとの関わりによって不自由を解消していく。そんな取り組みを100創出できれば、10000人のうねりになるでしょう。ロゴに象徴されるように、あらゆる事業創造を、あらゆる人たちと取り組んでいきます。

ゼネラルパートナーズは「誰もが自分らしくワクワクする人生」というビジョンに向かって、一丸となって進んでいきます。
何事も「やってみよう。楽しもう。」の気持ちで、一人ひとりが新たな挑戦を続けていきます。