彼らが「GPの思い」に共感して入社してくれたこと、
彼らが「GPの思い」を忘れずやっていることを、聞きました。
とてもうれしかったです。
ゼネラルパートナーズをなぜつくったのか。
どういう「思い」ではじめたのか。
私の妹は左半身不随で、知的障害があります。
幼少期から妹を見て育った私は、
つねに社会と障がい者の間にある、埋めがたい何かに嫌悪感を感じていました。
私は妹や障がい者に対して、特別な意識もありませんし、
かわいそうだと思ったこともありません。
何とかしたいと思いますが、同情というのはありません。
妹と一緒に出かけると、周囲の視線を感じます。
ジロジロ見られるのはまだしも、
あわれみや同情を持った目で見られるのはたまりませんでした。
子供である私はわざと堂々とふるまっていましたが、
それでも周囲の視線に子供ながらに恥ずかしさを感じていました。
あるとき、子供づれの親子が近くにやってきました。
子供が妹のことをじっと見ています。
親は「見ちゃいけません!」と子供を叱りつけています。
妹を見るとかわいそうだと思ったのでしょう。
でも私にはタブーに似た、腫れ物にさわるような雰囲気のほうが
よっぽど痛い。
障がい者が家族にいることは恥ずかしいことでしょうか。
そんなことはない。今は少し良くなったと思いますが、
少し前は隠したがる家がたくさんありました。
障がい者が外に出るなど、もってのほか。
世間体が悪いという風潮がおおかたを占めていたのです。
障がい児を持つ親たちが子供たちの活動できる会をつくりました。
徐々に参加者が増え、新しいお部屋を借りようと場所を移ることになりました。
すると近所から「イメージが悪くなるから、うちの近所ではやってほしくない」、
「地価が下がってしまう」という心無い声が・・。
どういうことか理解できませんでした。
当然、悔しいし、悲しくなりました。
なぜこんなことが起きてしまうのでしょうか。
そこまでネガティブな連想をさせてしまう障がい者という存在は
いったい何なのでしょうか。
まったく理解できませんでしたが、
障がい者は社会に不要なのか---悩んでいました。
障がい者が普通に受け入れられる社会を作りたい。
これがGPの出発点です。
「障がい者の良き認知を広げるために」という
ゼネラルパートナーズのミッションは、こんな思いからです。
そしてこんな社会を変えなければ。変えようと。
家族ぐるみで交際のある幼なじみの集まりに行くと、
そこにいる子供たちは妹との接し方を知っています。
誰も妹を特別に意識している子供はいません。
それは小さいころから、障がい者である妹と接しているので、
普通の目で見ることができるのです。
子供の頃から一緒にいると、こうなるのでしょうね。
偏見のない頃から障がい者と接した経験が重要なのではないかと感じます。
また障がい者に対するイメージは国によって異なります。
以前、家族で妹をつれて、海外旅行をしたときのことです。
欧米では日本とまったく接し方が違いました。
障がいを持つ妹は、行く先々で、暖かく迎え入れられ、
通りがかりの人たちが、声援のように私たちに声をかけてきました。
「ヘイ!」と言ったか忘れましたが、そんな感じです。
とにかく目が違いました。
それは私たちには声援を送ってくれる温かく、楽しい視線でした。
レストランに入れば、車椅子のウエイトレスが普通に働いていました。
周囲は誰も車椅子を気にしない。
彼女も堂々と働いていました。
こうやって社会に溶け込んで、普通に生活している人がいる。
腫れ物扱いや、世間から隠されている日本の障がい者との違いは、
私にとってあまりに衝撃的でした。
文化や歴史、環境ということも重要なのだと感じました。
それにしても、
日本はなんて冷たいんだろう、と思っていました。
しかし、新聞社のあるアンケート結果を目にしてから変わりました。
車椅子や障がいを持った人が困っていたら、
声をかけるか、助けるか、という問いに対して、
70%以上の人が、「助けたい、でもどう助けていいかわからない」と答えていたのです。
要は、障がい者への接し方がわからなかったのだ。
障がい者への偏見や隔たりは、「知らないこと」にあったと理解しました。
「知らないこと」に原因があるんだ。
接する機会がなかっただけだ。
したがって、私たちが進むべき道は、
障がい者のことを「知らない」から「知る」へ変えていくこと。
そのことによって特別なイメージや偏見を排除し、
社会にはびこる心のバリアを解き放つことができる。
女性の社会進出が30年かけて、普通になったように、
障がい者が普通に社会に進出でき、
僕らのような特別なサービスが要らなくなる社会になること。
障がいの有無に左右されない、フラットな社会の構築こそ、私たちがめざすべき目標です。
・・・と振り返ってみました。
社員は、この思いを共有してくれています。
そしてこの気持ちを大事にしてくれて働いてくれています。
そのことが、とにかくうれしい今日この頃です。



コメントする