障害者雇用・障害者採用・障害者就職・障害者転職を支援するゼネラルパートナーズ進藤均の日記

いつも周囲に気配りを
2010年7月27日

昨日のこと。

 

 

駅前で携帯電話で話をしていたところ、

後ろから人がぶつかってきた。

 

「がつん!」

 

私の後頭部を頭突きされ、

背中は手でド突かれたような感触だった。

 

人通りもなく、スペースは空いており、

とても人と人がぶつかるような場所ではない。

疑問に思いながら、振り返ると、

その人は、白杖をもった若い全盲の視覚障がい者であった。

 

 

私は、あわてて、「申し訳ありませんでした。大丈夫ですか?」

と謝罪した。

あちらは「大丈夫です。こちらこそ、すいませんでした。」

と逆に謝られてしまった。

 

「しまったな・・。」

 

足元を見ると、

私は、点字ブロックの上で電話をしていたのだ。

電話に集中していたため、点字ブロックに意識が回らなかった。

 

暗闇の中で歩き、いきなり壁にぶつかる恐怖。

これは見えない人でないと分からないだろう。

そんな気持ちにさせてしまった。

これからは気をつけなければ・・・と反省した。

 

 

ふと周囲を見回してみると、

駅前には、点字ブロックの上を自転車が

ところ狭しとならんでいた。

 

 

自分の都合や自分の利便性で、

どれだけ他人に迷惑をかけているのだろうか。

 

 

もっともっと、身の回りに、気を配っていこう。

 

 

 

  
好きな言葉
2010年6月18日

好きな言葉に「一燈照隅 万燈照国」があります。

 

 

一人ひとりがささやかであっても、

自分の身近にある一隅を照らすことが大事。

成し遂げるのには、まずは一歩から。

 

そして最初は一隅を照らすような小さな灯火でも、

その灯火が十、百、万となれば、

国をも明るく照らすことができるのです。

 

 

僕は、障がい者が当たり前に働ることができ、

仕事が自由に選べる社会を願い、

ゼネラルパートナーズを創りました。

 

 

障がい者の転職を1人サポートするというのは、

小さな灯火ではありますが、それらが100人、1000人となれば、

障がい者に対する見方が良くなっていくでしょう。

 

 

まさに、一隅を照らす、此れすなわち国宝なり、です。

 

  
就任のご挨拶
2010年6月 1日

 

 

このたび私代表取締役社長を辞し、

代表取締役会長に就任致すことになりました。
在任中は格別のご懇情を賜り 今まさに有難く感じております。

心から御礼申し上げます。

 


後任には富岡大輔が就任致しましたので、

今後とも私同様一層のご支援ご指導を賜りますよう、

お願い申し上げます。

 

今、日本経済が大きな転換期を迎えており、

現状維持への危機感を感じています。

今、まさに変革と挑戦が求められています。

 

 

自動車はガソリンから電気へ音を立てて変化しているように、

ショッピングの売り場がリアル店舗からインターネットに変化しているように、

現状維持では、明日には淘汰されてしまいます。

こんな時代に大きな危機感を持っています。

 

 

しかし今はチャンスでもあります。

 

 

グローバル化、少子高齢化、ITによるコミュニケーション進化

働き方の多様化、日本保有技術の活性化、日本文化の再復興・・

 

 

この時代のうねりは、大きなチャンスです。

こういう社会構造が変化している時にサービスは生まれてきます。

0から生み出しやすい環境であります。

 

 

こんな時代だからこそ、

私は、役割を変え、新しい事業の構築をすることに致しました。

 

 

今の混沌とした時代に危機感をもち、

今の時代の大きなうねりをチャンスととらえ、

新しい収益となる事業モデルを生み出したいと思います。

 

 

それらは、社会問題を解決する事業であり、

障がい者の良き認知を広める事業であります。

 

 

役割は変わりますが、

障がい者の良き認知を広めるために奔走してまいります。 

 

 

引き続き、皆さま方のご指導ご鞭撻を賜りたく、

よろしくお願い申し上げます。

 

 

 

  
昨日よりも今日
2010年3月10日

 

世界NO.1のスーパーマーケットチェーンの米ウォルマート社には、

「ビート・イエスタデイ」という創業者サム・ウォルトンが大切にしている考え方があります。

ビート(打ち負かす)、イエスタデイ(昨日の自分)。

昨日の自分、昨日の会社の状態を上回れ。
毎日成長し続けなさい。
そんなメッセージなのでしょう。

常に前年の同じ曜日の売上げを越えることを意識させていたようです。

 


僕らGPは、障がい者と採用企業を結びつける事業をしていますので、
一件でも多くの就職をサポートし、
障がいを持っていても普通に(むしろしっかりと)働けることを示していきたい会社である。
だから、昨日よりも今日就職サポートを増やしていきたい。

 

そして、サポート数だけではなく、

僕らGPと出会ったすべての人たちに、「変化の種」を与えたい会社である。

 

障がい者とGPが就職活動で出会ったことがきっかけで、

彼らが働き、喜びを味わい、社会の中で頭角を現し、戦力として、自信をつけ、

周囲に良き認知を広めている。

 

企業とGPが障がい者採用活動で出会ったことがきっかけで、

その企業はGPの分身となり、「障がいの有無は働く上で関係ない」と確信し、

社内外で、良き認知を広めている。

 

GPとの出会いが変化する気付きを与え、

大げさだが人生を変えることに寄与できたらいいと思っている。

 

僕らはまだまだ未熟で、微力だから、
すべての障がい者をサポートできていない。
すべての企業に採用のサポートをできていない。


しかし、変化の種を与えることは積み上げることができるのだ。

 

ビートイエスタデーのように、

昨日よりも今日、今日よりも明日と、GPが出会う人は増えているから、

より多くの変化の種を残している。

 

 

 

  
初めてに挑戦した女の子の話
2010年1月22日

 

今回は、GPが6年前にホームページに掲載していた

インタビュー記事をご紹介しようと思います。

 

 

当時、知人である中村さんが

24時間テレビでトライアスロンに挑戦することになったため、

GPとしてインタビューをさせていただきました。

 

 

先日、中村さんご本人より、

長年続けていたレースを引退されるという連絡がありました。

懐かしく思い、ブログでご紹介しようと思い至りました。

 

 

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

 

日本で初めて、51.5kmのトライアスロンに

挑戦をした女性がいます。

名前は中村秩加香さん19才。

 

 

幼い頃から二分脊椎症という障害により、

下半身はひざのあたりまでにしか感覚がなく

両足は自由がきかない状態。

そして視覚障害。右

0.0、左が0.02、視野がわずか5度です。

 

 

この状況で、

水泳 1.5km + 自転車 40km + マラソン10kmの計51.5km

という鉄人レースに、 車いすで出場するを決めました。

普通の人ならまずやろうという気にはならないでしょう。

 

 

決めたその日から、「挑戦」がはじまりました。

 

 

トライアスロンレース当日。

レースは鹿児島県薩摩半島にある指宿(いぶすき)

というところで行われました。

日本テレビの24時間テレビ関係者に囲まれ、

生放送の緊張感が高まる中、 レースはついにスタートしました。

 

 

陸上競技とのきっかけは、5年前の14歳のとき。

友人が参加する車いすマラソン大会に応援に行きました。

 

 

やってみたいという希望はありましたが、

視力が悪いためはじめから無理だと諦めていました。

 

 

『目が見えなくても、手が使えるなら大丈夫!』

マラソン大会に参加していた車いすのおじいさんからの言葉が

始めるきっかけとなりました。

 

 

『私にもできる?!』

そこから今まで味わったことのない、

風を切る何ともいえない爽快感を味わいました。

 

 

最初は短距離からはじまり、徐々に慣れてきました。

徐々に距離を伸ばしたところで、

市民マラソン、東京車いすマラソン、東京シティーロードレース

など数々のマラソン を次々と経験をしました。

 

 

数々の転倒やアクシデントも経験しました。

(勇気のある証拠か、調子に乗ったのかは分かりませんが。笑)

今では『転び慣れています!』と頼もしい限り。

 

 

そんな果敢な転倒が実を結んだのか、

東京都の大会で予選を通過し、

高知で行われた全国障害者スポーツ大会では見事優勝を飾るまでに

成長をしていたのです。

 

 

視覚障害の秩加香さんには

長いマラソンはコースが一定でないため一人では走れません。

 

 

活躍を後押ししたのは、秩加香さんの目の代わりとして

後ろで一緒に走ってくれるパートナーです。

本人とパートナーと一体となって練習に本番にがんばっていました。

 

 

そんなある日、日本テレビの24時間テレビから突然、

出場依頼がありました。5月中旬でした。

 

 

同じ競技に参加している知り合いの方が、

日本テレビに紹介されたようです。

 

 

『いきのいい元気な女の子がいますよ』いわれたとか。

 

 

最初は『秩加香さんの可能な距離でいい』と言われ、

『それなら何とかできるかも。』 と楽観視していました。

そこで、トントン拍子で出場を決断してしまいました。

 

 

そしてレースの詳細を聞いてびっくり。

『えっ、やっぱり51.5km!?』

 ちょっとのんびりとしていた生活が一変しました。

 

 

『レースまで3ヶ月しか時間がない!どうしよう・・・。』

 

 

それもそのはず。

何しろ水泳1.5km+自転車40km+マラソン10kmの計51.5km

トライアスロンレース。

すべてが初めての出来事であって、焦るのも無理はありません。

 

 

水泳は25mを泳いだことがない。

自転車に至っては未経験。

 

 

51.5kmと言われても、どの辺まで行けるの?

未知の世界の話で想像がまるでつかない。

(ちなみに51.5kmは東京~成田空港、東京~湘南海岸)

 

 

女性では日本で初めての試み・・・・。

 

 

焦らない方が不思議な状況です。

普通であれば気負いするし、諦めようとするはず。

しかし彼女は自分で決めたことだから、後には戻りません。

 

 

『とにかく頑張るしかない。一歩でも前に進もう!(まぁ、いいか!)』

 

 

と持ち前の明るさと前向きさ、

強い意志で切り替えました。

これが彼女のいいところであり、見習うところです。

 

 

この先何が起こるか分からない未知の世界。

不安を打ち消すために、

来る日も来る日も一生懸命練習に明け暮れました。

 

 

まだ見たことのないゴールには、何が待っているのでしょう?

 

 

13:00にスタートしたレースは、すでに20:00をすぎ、

ようやくゴールがぼんやりと見えてきました。

 

 

日中は、日差しが強く、34℃の炎天下が続きました。

そして体力の消耗が激しく襲ってきました。

 

 

そんな秩加香さんを励ますパートナーの舞の海さんが

こういう時に頼りになります。

 

 

しかし、スタートからずっと自転車で伴走を続けてくれている

舞の海さんは、本当は秩加香さんよりももっとばてていて・・・

それどころではない。

 

 

放送はされなかったが、道中大きな転倒もありました。

またギアチェンジを誤ってチェーンが外れるなど、

様々なトラブルがありましたが何とか乗り越えました。

 

 

ゴールに近づくにつれ、一日一日の苦しかった練習のこと、

色々な人に励まされたこと、心の支えであるお母さんのこと・・・・

様々な思い出が回想しました。

 

 

25mも泳げなかった自分が、

100m、200m・・・と泳げるようになっていったこと。

 

 

未経験だった自転車も、積み重ねで

少しずつ距離を伸ばしたこと。

 

 

多くの人達からの応援。

 

 

最後に大きな心の支えであった、お母さん。

 

 

目標であり、そして目の代わりとなり、

いつも一緒 に伴走してくれていたお母さんを思い・・。

 

 

様々な思いが交錯しながら、感動のゴール!

 

 

 

このトライアスロンは「自分のため」であり

「お母さんのため」に決意をしたそうです。

 

 

視覚障害が受入れられず、自信を失ってきて・・・

そういう自分に自信をつけ、

20才を目前にして、一回り成長したい。

そして、お母さんみたいに、精神的に強い大人になりたい。

自分の成長した姿を、お母さんに見てもらいたい。

 

 

この気持ちが、初めての挑戦を決意させたのです。

そして、7時間17分にも及ぶレースを支えていたのです。

 

 

 

 

 

  
皇居ラン
2010年1月18日

 117日(日)

仲間と皇居を走ることになった。

 

 

仲間は、最近走り始めたばかり。

1周だけ走るとのことで付き合うことにした。

 

 

最近、個人的に週110km1時間)走っている。

やっと慣れてきた。距離を増やし、

身体をさらにいじめようとちょうど考えていた。

 

 

せっかくの機会なので、皇居まで走っていこう!

 

 

皇居1周は5km

皇居まで5kmほど?

ちょうどいい。

 

 

待ち合わせの時間まで45分。

30分で到着するだろうと考えていた。十分、間に合う。

ウォームアップ目的でゆっくり走り出した。

 

 

ところが、途中、過ちを犯したことに気付いた。

 

 

街中の地図に手をあてながら、測ってみたら、

皇居まで10kmあったのだ。

なかなか着かないわけだ。

 

 

待ち合わせに間に合わないことは許されない。

 

 

いまさら電車に乗ってもかえって遅くなる可能性がある。

 

 

時間的にキツイことは分かっていたが、

あきらめなければ間に合う。

そう、信じて、急ピッチで走って向かうことにした。

 

 

これは自分との闘いである。

部活動を思い出すほど、きつかったが、

待ち合わせの場所まで、あと少し。

 

 

感無量のゴール!

おもわず両手を上げた。

相当遅れると思ったが、間に合ったのだ。

 

 

よく考えると、待ち合わせの場所に着いただけである。

スタート地点で力尽きている。

もう達成感を感じている。

 

 

 

達成感もつかの間、

皇居ランはゆっくりとしたペースで執り行われた。

 

 

  

今年、東京マラソンに出場できなかったが、

体力増強、健康維持のためにジョギングを継続している。

ただ走っているだけだと物足りなくなり、

今回のように、自分に課題を突き付けることになることがある。

 

 

どうしても、高みを成し遂げたいといけない気になってくる。

厳しい環境に身を置かねばと考えるようになる。

負けられないという気持ちになってくる。

甘ったれた根性を立て直したくなる。(もはや病気的・・)

 

 

そんな性分のため、

 

 

近く、フルマラソンの4時間切りは、必ず成し遂げる。とか。

そして、ショートトライアスロンへ、

そして最後は鉄人レースを完走するつもりでいる。とか。

 

 

・・・と、

そんな野望を抱いていることを考えながら、

皇居を1周した。

 

 

皇居の冬らしい光景が目の前にひろがる。

雲のないどこまでも青く澄んだ空。

お堀の水辺がきらきらと輝いている。

 

 

今日は、天気も気持ちも晴々であった。

視界は良好である。

 

 

 

 

 

  
誕生日に突然のお客様
2009年12月24日

昨日12月23日、僕の誕生日に、

あまりに突然の素晴らしきお客様が我が家にいらっしゃった。

 

 

彼は、我が家には、初めての訪問であり、

僕らは、こんな来客は初めてであった。

 

 

息子のサッカー大会が終わり、家に帰ってきた。

家のドアを開けた瞬間、

ものすごい早いスピードで、ものすごい瞬発力で、

何者かが、足元をくぐり、家に入り込んできた!

 

 

「おいっ、おいっ!」

 

 

「きゃー!」

 

 

あまりに一瞬で何が起きたのか状況がつかめなかった。

ものすごい勢いで入っていったのは、なんと猫にゃんだった。

大きな大きな猫にゃんは、

家の奥へと走って行った。

 

 

「・・・。」

 

 

家族は、猫や犬といった動物が苦手だ。

というより、こわい存在だ。

 

 

これは、史上最悪の危機である。

 

 

今とてもムツゴロウさんになりたい。

うらやましい。

 

自分、動物好きとか猫好きだったらよかったのに。

周囲の犬猫好きをこれほどまでにうらやましく思ったことは

初めてである。

 

 

 

憂鬱だが、どうやって家から追い出すかを考えた。

「まず必要なのは、勇気と気合だ。」

気持ちが強くないと、立ち向かえない。

気持ちを整えた。

そして具体的な追い出し方。

これは、ベランダか玄関しかない。出入り口も大きい。

まずは、そこの空間へ移動させよう。と決めた。

 

 

「よし!いくぞ。

 

 

しかし、猫がいないのだ!

どこかに隠れてしまった・・。

 

 

狭いところが得意なのは知っている。

「みーつけた~!」という楽しいかくれんぼは幻想だ。

 

 

「・・・。」

  

 

すべてのドアを閉め、一つ一つあけていく。

ベッドの下、おもちゃ箱の中とか

隠れそうな場所を一つ一つのぞいていく。

凶悪犯を捜している刑事のようだった。

 

 

これが、またこわい。

 

 

手には、なぜかイルカのぬいぐるみを持っていた。

何かあったら、これでよけようととっさに手に取ったと思われる。

考えている心の余裕などない。

 

 

15分~20分ほど過ぎ、ようやく見つけた。

 

 

「うわぁ!いた!」

 

 

びっくり仰天だ。

しかもこれは見つからないよ、という狭く暗い場所だった。

 

 

窓を全開に開け、

まずは、「勝手に出て行ってくれ」と祈る。

 

 

無視される。

 

 

そこでイルカ登場。

「こっちだよ」と猫に話しかけ、誘導した。

 

 

無視される。

 

 

そうなると、最後は、こわいけど追い詰めてみた。

俊敏に逃げ回る猫を追い詰め、

猫が動くたびにこっちが逃げながら、

戦いの末、ベランダの外に追い出すことができた。

 

 

出るとちょっと強気に、

「二度と入ってはいけないぞ!」というこわい顔でイルカを振り回した。

 

 

といいながら、足は震えていた・・。

  

 

 

誕生日に突然のお客様。

 

 

今は、ただ、なぜいらっしゃったのかが知りたい。

 

  
障害者差別禁止法に前向き
2009年12月11日

現在、キーボードの「E」が強く叩かないと効かなくなっています。

こr は、とt もふbん (これは、とても不便)。となってしまう。

仕事が遅くなってしまうだけでなく、左手中指(Eの指)がつりそうである。

 

社員のAさんから「ブログ書いてください!」と言われた。

Eが打てないことを理由にすることにした。

 

さt、

 

本日のニュースで鳩山首相が障害者差別禁止法の制定に意欲的という

記事がでました。

 

これは今にはじまったことではなく、

2007年、世界的な条例に日本も合意した流れを受けて、

今、日本に合った解釈を模索しているところです。

障がい者が、就職や仕事といった場面や、

生活する上で、合理的配慮がなされていることが求められる。

その合理的配慮というものがどの程度のものなのか。

個人も企業も戦々恐々と見守っています。

 

細かいことは置いておき、ハード、ソフトともに、

オールユニバーサルデザイン化となれば、配慮は必要なくなるだろう。

こんな社会なら、高齢化社会にも対応できる。

グローバル化にも対応できる。

障がい者や高齢者が生活しやすいのなら、僕らも同様である。

 

ライターは片手で火がつくように開発された。

ウォシュレットは障がい者用に開発された。

 

こういった視点で社会システムを変更すると皆が恩恵を受ける。

財源はこういったところにあててほしいところである。

 

大事なところは、ユニバーサルデザイン化している過程において、

すでにハートが「相手を思う」というユニバーサルデザイン化していることだ。

 

 

障害者差別禁止法に前向き=鳩山首相

 鳩山由紀夫首相は11日午後、首相官邸で開かれた中央障害者施策推進協議会であいさつし、日本では制定されていない障害者差別禁止法について、「米国をはじめとした世界の多くの国が実践をしている。新政権としては前向きに取り組んでいきたい」と述べ、法整備に努力する考えを強調した。
 さらに、「障害者」という呼称についても見直すよう提案。「障害者という言葉よりも、チャレンジドの方が望ましい。いろいろと新政権で考えていかなくてはならない」と語った。

 

 

  
12月という締めくくり
2009年12月 2日

12月に入りました。と同時に、

2009年および平成21年が終わろうとしています。

 

今年はどんな年になりましたでしょうか。

 

 

デフレ宣言、円高株安、財政不足など、

相変わらずメディアはいい話をしてくれませんが、

この厳しい今、どのようにしていくのかが問われます。

 

いずれ経済は回復に向かいます。

そのとき、私たちはどんな状態にいるでしょうか。

進化を遂げているのでしょうか。

風が吹いたときに広げられる「つばさ」を創っておかねばなりません。

 

 

GPは障がい者雇用を支援する業界の

リーディングカンパニーとなりました。

 

しかし、今までの歩みをすべて見直し、

あらためて本当に強い会社になる。

この厳しい時代でも成長を遂げていく。

 

GPは今「強い会社基盤を構築する」という中期計画を実行中です。

 

今以上に雇用機会を増やし、

今以上に良き認知を広め、社会に貢献していく。

新たな決意をもって取り組んでまいります。

 

 

今年最後の月です。

終わり良ければすべて良し!?

 

2010年がいい年になりそうだ!

 

と思えるよう、12月を頑張りたいと思います。

 

 

  
所信表明を受けて
2009年10月27日

昨日鳩山首相が所信演説を行いましたが、

とてもすばらしい内容でした。

熱く共感するとともに、燃えてきたところで、

久方ぶりのブログとなりました。

 

 

鳩山首相は障がい者に対する気持ちを多く触れました。

(以下に抜粋しています)

 

 

もともと障がい者への思いが強い方で、

首相になった後でも、障害者のファッションショーへ

参加していたことや

知的障害者を多く雇用するチョーク会社「日本理化学工業」へ

見学に行っていたことは知っていました。

 

 

また、友愛ということで、

障がい者、シングルマザー、高齢者といった

社会的弱者への視点をもって、多様性を認め、

分け隔てない社会、すなわち友愛社会を目指しています。

 

 

 

共感

 

 

 

GPは「障がい者が人生を自由に選べる社会」を目指しています。

 

GPの目指している社会に必要であり、共感できます。

 

 

 

障がい者が自由に仕事を選べる。

 

学習する、移動する、購入するなどの場面で

 

障がいが制限にならない社会です。

 

分け隔てなく生活できるようになるには、障がい者だけの問題だけでなく、

 

多くの差別偏見がなくなっている必要があります。

 

 

 

いろんな立場の方々がいる、ということを尊重して、

 

認めていく社会を目指さなければなりません。

 

 

 

ぼくらのアプローチは障がい者。

 

だから、ぼくらは障がい者が受けいれられる、

 

認められる数を増やしていかねばと改めて感じました。

 

 

 

福祉的雇用ではなく、

 

戦力となる障がい者を増やしていきたいと思います。

 

 

 

 

時代は大きな転換期を迎えていると思います。

 

官僚主導から政治家主導へ。

 

そして国民一人一人が主導権をもって日本を創る時代となった。

 

 

中央集権から地方分権への流れもある。

 

 

鳩山さんの演説から国民一人一人が何を思い、

何を実行していくかが問われています。

  

 

「政治は我々に何をしてくれるか」ではなく、

 

「ぼくらは国に何ができるのか」

 

 

考え実行していかなければならない。

 

 

 

 

~~~~~以下、鳩山首相所信表明の一部~~~~~

 

先日訪問させていただいたチョーク工場のお話を申し上げます。

創業者である社長は、昭和34年の秋に、

近所の養護学校の先生から頼まれて2人の卒業生を仮採用しました。

毎日昼食のベルが鳴っても仕事をやめない2人に、

女性工員たちは「彼女たちは私たちの娘みたいなもの。

私たちが面倒みるから就職させてやってください」と

懇願したそうです。そして、次の年も、また次の年も、

養護学校からの採用が続きました。

 

 ある年、とある会でお寺のご住職が、その社長の隣に座られました。

 社長はご住職に質問しました。

 「文字も数も読めない子どもたちです。

施設にいた方がきっと幸せなのに、なぜ満員電車に揺られながら

毎日遅れもせずに来て、一生懸命働くのでしょう?」

 

 ご住職はこうおっしゃったそうです。

 「ものやお金があれば幸せだと思いますか」

続いて、「人間の究極の幸せは四つです。

愛されること、

ほめられること、

役に立つこと、

必要とされること。

 

働くことによって愛以外の三つの幸せが得られるのです」。

 

 「その愛も一生懸命働くことによって得られるものだと思う」、

これは社長の実体験を踏まえた感想です。

 

このチョーク工場は、従業員のうち7割が「障がい」という

「試練」を与えられた、いわば「チャレンジド」の方々によって

構成されていますが、

粉の飛びにくい、いわゆるダストレスチョークでは、

全国的に有名なリーディングカンパニーになっているそうです。

障がいを持った方たちも、あるいは高齢者も、難病の患者さんも、

人間は、人に評価され、感謝され、必要とされてこそ

幸せを感じるということを、

この逸話は物語っているのではないでしょうか。

 

私が尊敬するアインシュタイン博士も、

次のように述べています。

「人は他人のために存在する。何よりもまず、

その人の笑顔や喜びがそのまま自分の幸せである人たちのために。

そして、共感というきずなで結ばれている

無数にいる見知らぬ人たちのために」

 

生活保護の母子加算を年内に復活させるとともに、

障害者自立支援法については早期の廃止に向け検討を進めます。

また、職場や子育てなど、あらゆる面での男女共同参画を進め、

すべての人々が偏見から解放され、分け隔てなく参加できる社会、

先住民族であるアイヌの方々の歴史や文化を尊重するなど、

多文化が共生し、誰もが尊厳をもって、

生き生きと暮らせる社会を実現することが、

私の進める友愛政治の目標となります。